ちょっと仰々しいタイトルをつけましたが、D1だじゃれグランプリでは、なぜ会場や選手から「え~?」というような不可解な判定が出てしまうのか、これについてわたしなりの考えを書いてみようと思います。



まず、D1に限らず、スポーツでも演劇でも、審査員の評価によって点数や順位が決まるものというのは判定が難しいです。



ボクシングでもKOのときは誰が見ても勝敗がハッキリしますが、判定に持ち込まれた場合、特に僅差のときなど不可解に思える結果になることがあります。これは人間がやる以上、ある程度仕方ない部分はあると思います。



ただ、他のものは、審査員やその判定を下す人が、資格を持ったプロの審判だったり、そうでなくても、その競技や業界の師匠や、第一人者、現役の大御所など、その道に精通している実績のある関係者が務めます。



歌の審査なら、作詞や作曲家の先生やプロのベテラン歌手、音楽プロデューサーなど。演劇なら、演出家や脚本家、大物俳優などです。



それが、だじゃれの場合は、プロとか、第一人者、大御所など、その道をすでに極めたという先人がいないわけです(いるのかもしれませんが、どこにいるのかわかりません)



末高斗夢さんみたいな芸人さんもいらっしゃいますが、そもそもが「だじゃれ」という独立したカテゴリーがないわけです。



強いて言うなら、だじゃれのプロは落語家さんになるのかなと思います。それでも、落語のプロであって、だじゃれのプロではありません。



つまり、ことだじゃれに関しては、素人が素人を審査しなければならないわけです。



もちろん、今回の「D1だじゃれグランプリ」の主審を務められた中川会長はだじゃれの第一人者ですし、副審の藤本先生も大会に参加されて好成績を残された実績をお持ちの方ですので、ただの素人ではありません。



ただ、だからと言って、新人オーディションを受ける歌手と大御所の演歌歌手ほどの天と地ほどのだじゃれの力の差や実績が、出場選手たちとの間にあるわけではないと思うのです。



あたりまえですが、絵本作家としての確固たる地位をお持ちのプロですが、だじゃれのプロではありませんから。



それでも、お二人はいいと思いますが、他の審査員(審判)を務められる方は、ご自身がだじゃれの大会にも出られたこともないような、もしかしたら出場選手以上のおもしろいだじゃれを言ったことがあるのかどうかもわからないような方が含まれているのです。



それ自体は構いませんが、そうなると、出場選手たちはどんな物差しで測られるのかなという前の記事に書いたような素朴な疑問に行く着くわけなのです。



ここまで好き勝手に書いたので、失礼を承知で書きますが、好き嫌い(だじゃれのですよ。人のではなくね)や個々人の感覚じゃないのかなと思うのです。



だとしたら、明確な判定基準ではなく、好みや感覚で3人のうち2人が上げたほうが勝ちというのは出場者にとっては、少なくともわたしにはちょっとなという気がします。それも、先ほど書きましたように、プロとかではない方の感覚ですからね。



そうなってくると、やはり圧倒的な差がない限り、3人のうちの2人のごく少数意見ですから、大多数の人=観客や選手の感覚とは一致しないのかもしれません。



たとえばこういうことです。



100人くらいの人を集めて、3人のラーメン好きに「何ラーメンが好きか?」と聞いてみたところ、3人のうち2人が塩ラーメン、1人が醤油ラーメンだったとします。



だから、大半の人が塩ラーメンが好きということになるかと言えば、たまたま、代表した3人のうちの2人が塩だっただけで、大多数からは「えー?塩?ラーメンと言ったらやっぱり醤油でしょう」という、1人の審判しか上げていない意見のほうが多数派の場合が往々にしてあると思うのです。



つまり、D1だじゃれグランプリの判定はそんな感じかなと今思っているところです。



じゃあどういう方法にすればいいのかということになると、それはわたしが考えることや口を出すことは権限を超える余計なお世話になってしまいますので、この自分なりの勝手な分析までにとどめておきます。



あとは、現状そういうルールなんだからと従うか、それなら承服しかねるので今後もう参加しないことにするか、その選択だと思います。