去る11月14日(日)「D1だじゃれグランプリ東京オープン」が開催され、わたしも出場しました。
結果は昨年と同じ2回戦(ベスト16)敗退でした。
結果は仕方ないのですが、どうしても自分の中では判定に納得できないことがあるので、今回はこの「D1だじゃれグランプリ」の判定基準について考えてみたいと思います。
この話は自分の心の中に封印しようと思っていたのですが、また今年も起きてしまったので、封印を解いて昨年の「D1だじゃれグランプリ全国大会」の話をさかのぼってしたいと思います。
昨年、わたしは今年と同じ2回戦で敗れましたが、そのお題は「とんび」でした。
わたしは、バブルガムブラザースの♪W'ont be long」(=ウォンビーロンと聞こえると思います)。対戦相手は「飛んび行く」というだじゃれでした。
どうしても自分のほうをひいき目に見てしまいがちですが、しかし、わたしが客観的に見ても、「とんび」と「とんで」では、「び」と「で」の言葉の響きは似ていないため、だじゃれとしてはどうかなという気がします。
まだ、「ウォンビー」と「とんびー」のほうが言葉の響きは近いと思います。
しかし、判定結果は、2対1でわたしの負けでした。
もちろん、言葉の響きが近いほうがイコール勝ちではないでしょうが、「でも、それがだじゃれじゃないの?じゃあ、何で決まるの?」という疑問がこの1年ずっとわたしの中にありました。
それでも、「相手が子供だったし」とか、「審判が♪W!ont be longを知らなかったのかも」と、自分の中で消化して今年に挑みました。
そして今年です。
主審は中川ひろたか会長、副審が藤本ともひこ先生と長野ヒデ子先生でした。
主審の中川会長は2回のうち、わたしと対戦相手に1回ずつ旗を上げていただき、藤本先生は2回ともわたしに上げていただきましたが、長野先生は2回とも対戦相手に上げられました。
判定なので、別に上げていただけなかったことに文句をつけるつもりは毛頭ありません。それを決めるのが審判の任務ですから。
ただ、他の審判の先生は上げていただいているのに、長野先生からは1回も上がらないということは、わたしの作品のどこがだめだから上げていただけなかったのかそれが知りたいのです。
つまり、それがわからなければ、今後何度挑戦しても結果は同じことだと思うのです。実際、前回と同じ結果でした。
結果に一喜一憂するのではなく、うまくいかなかかったときは、なんでだめなのかという理由がわからなければ対策の立てようがないのです。
だじゃれの持つ言葉のおもしろさではなく、演技力だと言うのであれば、次は演技力を磨かかなければならず、今までやってきた練習は意味がないとまでは言いませんが、的外れだったということになります。
ではなく、だじゃれがおもしろくなかったということであれば、練習方法は間違っていませんでしたが、まだまだ足らなかったということになります。
これを評価いただけなかった長野先生に伺ってみたいのです。
このD1という競技は、突きつめて言えば、審判に旗を上げさせる(上げさせるという表現は適切ではないかもしれませんので)、旗を自分の側に上げてもらうにはどうすればいいのかということになると思います。
結局、それがわからないと、わたしのように何回出場しても同じ結果だと思うのです。
つまり、この競技の審判の「判定基準」は何のか?
それに即したもの、それに求められているものを披露しないといけないわけです。
もちろんこれは、ただ楽しむためではなく勝つためにはという大前提の上ですが。
ちょっと審判や審査方法に対する批判的な意見になってしまったと思いますが、おそらく、口には出さないけど、わたしと同じ悩みや疑問を抱いている出場者のみなさんもいらっしゃるものと思います。
また、これから参加される方がきっと同じような問題にぶち当たると思うのです。
自分自身のブログですから、言いたいことを飲み込んで、何もいいことばかり書き連ねる必要はないわけで、おかしいと疑問に感じることは、遠慮せず問題提起してみたいと思い記事にさせていただきました。